2. あらすじ
主人である三郎兵衛の妾、お弓との不義の恋が露見してしまった市九郎は、主人を殺してお弓とともに江戸を脱出する。路銭が尽きた二人は美人局から強請り、果ては強盗殺人まで犯すようになるが、市九郎は罪悪感に堪えかね、お弓との生活から抜け出し、寺へすがって出家する。
修行の末、一人前の僧になった市九郎は諸人救済のため諸国を旅してまわり、やがて一年に何人もが滑落する鎖渡しに出会う。人々がそこを通らなくて済むよう、市九郎は一生かけてでも岩山を掘り、別路を切り拓くことを決意する。当初は懐疑的だった村の人々も、十数年も掘り進める市九郎を次第に助けるようになっていく。
一方そのころ、三郎兵衛の息子、実之助は剣の修行を終え、仇討ちを果たすべく旅を始めた。ひょんなことから仇である市九郎の居所を突き止めた実之助であったが......。
3. 感想
恩讐の彼方に、というタイトルの通り、罪を犯してしまった市九郎が世に報恩していくひたむきな姿と、復讐に意気込む実之助が、村人に尊敬され、ボロボロになりながらも一心不乱に穴を掘っていく市九郎にどう仇討ちを果たすのか(果たせるのか)ということに焦点を当てた物語になっています。
着目するべき点は、心情の変化を巧みに描き出しているところです。犯罪を重ねるうちに深まっていく市九郎の苦悩、無為なことと当初は笑いながらも、次第に市九郎の執念に心惹かれていく村人たち、そして、復讐心の揺らぎに惑う実之助。人の心の強さと弱さが絶妙な塩梅で描写されていて、短い話ながらもラストシーンの輝きは筆舌に尽くしがたいものがあります。近年はアニメーションやCGを中心に鮮やかな光の表現が技法として注目されることもありますが、あのような見せられる(そして魅せられる)光ではなく、読者の心の内から発せられるような、目を閉じているからこそ眼前の暗闇を照らす光の具合がわかるような、そのようなきらめきを持った作品です。
ただ、あえて星3つに抑えた理由を挙げるとするならば、ややストーリーが凡庸な側面があると言えるでしょう。罪を犯した人間が再生して善行を積む。地道な努力を当初は嗤うがやがて惹きつけられていく。復讐だけに燃えていた心に転機が生じる。こういった展開は(特に現代を生きる我々から見れば)やや「テンプレ」に思えます。そういう意味では、文学発展の歴史とともに色褪せてしまった面がないわけではありません。
しかし、ただ「テンプレ」をなぞっているだけの有象無象の作品とは比較にならない質の高さを持った作品です。 読めば必ず、「テンプレ」に沿った作品に対する評価のハードルをぐっと上げざるをえなくなるでしょう。
総合的には、かなりオススメの作品です。
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